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管理人:自厭
Since 2003.1.5
191968(T:10/Y:14)
かつて“チャット”という単語が検索キーワードの上位に君臨していたころ、私も1ヶ月300時間以上チャットに興じていた時期がありました。講義に出席もせずにテレホタイムのすべてをチャットに注ぎ込むアホ。今、どれだけあの無駄な時間を悔いているかわかりません。
それだけチャットばっかりやってるとネット上に友達もできたりして、作ったばかりの私のサイトに多くの人が遊びに来てくれました。掲示板には1日30件前後の書き込みと同数のアクセス数。<身内>しか訪れないようなサイトだったわけです。<身内>のために作ったサイトではありません。願わくば多くの人に見てもらいたい。しかし実際は<身内>にしか見てもらえないサイト。それが私のサイトでした。
私もネット友達のサイトを<身内>として訪れることは少なくありませんでした。
それでも、比率で言えば圧倒的に<身内>以外のサイトを訪れることが多かった。時にはアダルトサイト、時には便利なソフトの紹介サイト、時にはニュースサイト、時には趣味のサイト。その多くは<身内>のサイトではなく、お気に入りのリンク集や検索サイトを経由してのネットサーフィンでした。
費やした時間の長さは別として、一番集中した瞬間というのはやはりアダルトサイトでの無料のエッチ画像探しでしょう。リンク集では紹介文としてもう大変破廉恥なことが書いてあるわけです。期待を膨らませクリックしてみると、決まって目に入るのはギラギラと目が痛くなるようなバナー広告と、迷路のようなページ構成。あがき、もがきながらも、気がつけばいつも有料ページに引き寄せられ、涙を飲んで「戻る」ボタンを連打したものでした。
実際、私の訪れたサイトにムフフな破廉恥無修正画像がたんまり保管されていたのかはわかりません。一部の人たちは見事捜し当て、夢のようなひとときを過ごしたのかもしれない。一部の人たちは誘惑に抗しきれずに「もう有料でもいいや」と破滅への道を辿ったのかもしれません。
しかし私にとってそのサイトは、何の価値もなく、時間を無駄にした思い出がいっぱい詰まった忌むべきページなのです。
今ネット上には何億ものWEBページが存在すると言われています。
エロかニュースか観光か。笑いか悲しみか虚しさか。どんな気持ちでどんな内容を求めているかは人それぞれ違いますが、多くの人は自分の求める情報を得るために、検索サイトや情報掲示板などを活用しながら、日夜いくつものWEBページを巡っているのだと思います。
辿りついたサイト見た瞬間「これは違うな」と即断し別のサイトへ情報を求める人もいれば、じっくりページを眺めてから自分の求める内容との一致を確認する人もいるでしょう。
唯一の共通点を見出そうとするならば、それは自分の求めるものがそこにあるか否かを決断するのは自分自身しかいない、という点ではないでしょうか。
友人が「キミの求めている情報はこのページにあるよ」と特定のページのアドレスを教えてくれたとしても、そのページを見て「ここだ!」「いやここはなんか違う」と判断するのは他ならぬ情報を求めている本人自身です。その際、「そのページは友人から教えてもらったページである」ということそれ自体にはまったく意味がないわけです。
さらに言うならば、訪れたサイトの管理者がどのような意図を持っていようとも、そして実際そのサーバーには有意義過ぎるほどの有益な情報が蓄えられていたとしても、それが閲覧者の目に止まらない限りは、閲覧者にとってみれば「ここは違う」サイトなのです。
今ネット上には何億ものWEBページが存在すると言われています。その中には少なくない数の<身内>向けのサイトというのがあるでしょう。そして中には、むしろ<身内>以外の人に見てもらっては困るサイトというのもあるでしょう。
でもやはりサイト管理者の方々はできれば多くの人に見てもらいたい。<身内>以外の人にも見てもらいたい。そう願ってるのではないでしょうか。
で、あるならば、当サイトが想定すべき閲覧者とはどういう人であるべきか。どういう閲覧者を想定するのが、評価を受けるものにとって好ましいか。
確かに評価サイトである以上、閲覧者はいつも通りの「一瞬で判断して次へ飛ぶ」という行為に及ぶのは好ましい行為とは言えないだろう。当サイトは相互に評価しあうことに主眼を置いているわけであるから、立場としては、専門的な立場に立った評論者としてではなく、いち閲覧者として、ありふれた閲覧者という立場を取りながらも、できるだけ多くのページを見て、できるだけ多くの感動を伝え、できるだけ多くの修正案を提示するのが好ましい姿であろう。
では一方で、評価を受ける側から見た閲覧者とはなんだろうか。
善意で無料によるWEBサイト評価や鑑定をしてくれるサイトは数多くある。そういうサイトはサイト評価が売りであるからじっくりアナタのサイトを見て、多くの意見を述べてくれるだろう。それが有料サービスとなれば、さらに多くの有意義なアドバイスを得ることができるかもしれない。
が、立ち止まって考えてみるとき、その種の人たちと同じ立場で閲覧してくれる人はどれほどいるだろうか。あなたが不特定多数の人たちに見てもらえるサイトを作ろうとしたとき、その「不特定」の人たちは、あなた同様にできるだけ多くの満足いく内容を求めてネットを徘徊しているのであって、アナタのサイトをアナタの意図やアナタの見てもらいたいように見てくれるイエスマンでは有り得ない。
当サイトは相互評価型WEBランキングである。が、それは必ずしもアナタの思うように評価をするユーザーの集まりでは有り得ない。
評価コメントに対して「ここはこういう意図であって・・・云々」「ちゃんとこのページに理由が説明・・・云々」「アナタが見たのは○○であって自分としては・・・云々」という言い訳・釈明・解説はまったく成立する余地はない。
自分の意図をいかに表現するか。自分の気持ちをいかに文字や絵で表すか。それはサイト構成で表現するのが筋であって、検索サイトやランキングサイトからやってくる多くの気まぐれな来客者に見てもらいたいならば、それはなおさらなハズだ。
これが私のコメントに対する「言い訳」レス機能を頑なに拒否する言い訳である。
なお、このテキストが意図するところは評価を受ける側の心構えの問題であって、評価をする人が手を抜いても良いという話ではまったくないことを言い訳しておきたい。